♬アーティスト インタビュー♬ 演歌歌手 原田 悠里さん



原田 悠里 はらだ ゆり

熊本県天草市出身。鹿児島大学卒業後、「大好きな歌と関わりたい」と神奈川県内の小学校で音楽教師として働き始める。その後、幼い頃からの夢だった歌手への夢が諦めきれず教師から一転、歌の道に。憧れの人、北島三郎の門戸を叩き、弟子となる。そして昭和57年「俺に咲いた花」でキングレコードよりデビュー。演歌からオペラまで歌える幅広さが魅力。代表曲には100万枚のセールス「木曽路の女」60万枚のセールス「津軽の花」など。


鹿児島大学教育学部を卒業後、小学校の音楽教員を経て歌手になられたという異色の経歴をお持ちですが、いつ頃から歌手を目指されていたのでしょうか?

 

小さい頃からずっと歌手になりたかったのですが、父から「先生になりなさい」と。歌手を夢見るなんてとんでもない、歌は嫌いだ!とまで言われまして(笑)そんな環境だったので、とにかく一度は教員になりましたが、心の中ではずっと歌手になると決めていました。

 

初めて人前で歌ったのはいつですか?

 

幼少期は引っ込み思案で、とてもそんな感じではなくて…お風呂焚きのお手伝いをしながら歌っている時、道行く人が聴いてくれたのが最初かな(笑)

舞台に立つということなら、大学生の時にコンクールでクラシック歌曲を歌ったのが最初です。でもね、全く緊張しなかったの!クラシック歌手になるつもりが無かったのでね(笑)

 

どんなお子さんでしたか?

 

高校時代までは、目立たない子でしたよ。音楽の授業が好きだった訳でもなく…誰も私が歌手になるなんて思ってなかったはずです(笑)

でも、故郷の天草は大好きで、今の自分を支えてくれる存在です。

 

クラシックの発声法は大学生になって初めて学ばれたのですか?

 

そうなんです。私、地声は決して高くないし、むしろ低くて太い方だと思っていたんですが、大学の先生が「あなたはソプラノね」とおっしゃって。最終的には「魔笛」の”夜の女王”まで歌いましたので、先生のレッスンのおかげだと思っています。

演歌は地声が大事なのですが、クラシックは発声法ですよね。大学生になるまでテクニック的なことは全く何も知らなかったので、素直に一生懸命取り組んだのも良かったのかなと。当時、イタリア帰りの新進気鋭の先生だった、有馬万里代教授には本当に感謝しています。もし他の大学に行っていたら、歌手にはなれなかったと思います。

 

演歌歌手としてデビューされた時、有馬先生はなんと?

 

えー!っと(笑)

でも、「北島三郎先生のところでデビューさせて頂く」と言ったら

「あぁ、あの方は立派な方なので良かった!」と喜んでくださいました。

 

演歌を志されたきっかけは?

 

美空ひばりさんの歌を小さい頃から聴いていたことですね。ラジオや映画…ひばりさんに憧れて歌手を目指して、途中で大学でクラシックを学びましたが、やはり私にとって歌いたい歌は、歌謡曲、演歌だったんです。

 

そして、歌手への道が開けたエピソードを教えて下さい

 

先生をしながら、夜はアルバイトで弾き語りをさせて頂いたりして…そんな中、北島三郎先生の歌を聴いて、「あぁ、私を歌手にしてくださるのはこの方だ」と!で、カセットテープに録音した自分の歌を先生宛に送ったら、この事務所に迎えてくださったんです。

 

今回共演されるミュージカルソーのサキタハヂメさんとはどんなご縁で?

 

東日本大震災への思いを書いた私の「明日への祈り」という詩にサキタさんが作曲してくださり、コンサートにも出演していただき、そして今回は「今この時に」という曲で共演させていただきました。本当に素晴らしい才能の持ち主で…ミュージカルソー、のこぎりであんな音が出せるなんて…彼は天才ですね。

 

ステイホームの今、どんな毎日を送っていらっしゃいますか?

 

とにかくスケジュールをちゃんと組まないと気が済まない性格なんです。時間割を組んで、ジムに行く時間、次は映画を観る時間という感じで…食事、運動、歌の練習の3本柱はきちんとこなします。コロナ禍で生活が変わり、自分で自分の時間をマネージメントしなければならない、という意識が強いですね。この2年はそういう意味でも貴重だったと思っています。食事に関しては、師匠の二葉百合子先生を見習って、お肉を頂くようにしています。ジムも20年以上通っていますし…自分は天才ではなく、凡人だと自覚があるので。でも、好きでやってることなのでストイックではないですよ。

 

12月のコンサートはロイヤルチェンバーオーケストラとの共演ですが

 

コンサートとしてフルオーケストラとの競演は初めてで、これが新しい試みの第1歩になるのではと思っています。今までの経緯でクラシック音楽に少なからず触れてきましたが、このコロナ禍の中で、こんなチャンスを頂けることに感謝しています。やはり、生の音、しかもオーケストラで歌えるのは素晴らしいことですので。

 

どんな可能性を感じますか?

 

私は演歌とクラシックの融合というか、両方を知る者として自分がどうあるべきか、ずっと20年くらい前から考えていたんですね。それが「ひばりとカラス」という本を書いたことにつながるのですが。演歌独特のこぶしとか節回しとか、それはもう素晴らしい方が沢山いらっしゃる中で、クラシックを学んだ自分がどうあるべきか…そんな中、2019年にオペラ「蝶々夫人」をモチーフに、クラシック、演歌、歌謡浪曲を融合させたコンサートをさせて頂いたんです。「さくらさくら」や「ある晴れた日に」とかね。今回はそれをフルオーケストラで歌うことになりますので、本当に新しい挑戦だと思っています。

 

歌の好きな読者の皆様に一言いただけますか?

 

私も学生時代に合唱団に参加していましたが、当時のお友達たちも今も歌い続けています。今は思うように歌えない日が続きますが、後もう少しの辛抱だと思います。頑張って歌い続けてください!

 

原田さんの新しい挑戦、是非劇場で応援したくなりますね♬