♬アーティスト インタビュー♬ 三味線奏者 岩田 桃楠さん



岩田 桃楠 いわた ももくす

1993年大阪府箕面市出身。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。

両親が音楽家という環境で育ち、9歳で津軽三味線に出会い演奏活動を開始。

都内を中心に、ヨーロッパ、アジア、中東、アメリカなど、国内外で演奏を行う。

2019年ソロアルバム「Shamisen Tokyo」をリリース。

同年、日米協会主催によるソロコンサートをアメリカミネソタ州にて開催。

幅広い音楽性と自由な発想で現代の三味線の在り方を追及する。

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12月4日のコンサートで演奏する「三味線協奏曲」は世界初演となりますが、構想は?

 

もうほぼ固まっています。長さは5分程度ですね。 

今までもピアノとかパーカッション、サックスとかジャズ編成でやったことはあるのですが、オーケストラでは初めてなので、勉強させて頂いています。

 

「津軽三味線協奏曲」自体はすでにあるのですが、作曲家が三味線のために書いたものなので、オーケストラに三味線が乗る、というイメージです。

今回僕のように、三味線奏者が三味線本位で作曲するのは初めてなので、三味線の「おいしいところ」を前面に出せればいいなと思っています。

 

三味線の「おいしいところ」とは?

 

三味線って、意外とワールドワイドに何でも弾けちゃうんですよ。リベルタンゴとかチャルダッシュとかのテクニック系の曲も、最近は技術の進化により弾けるのが普通になってきました。早いパッセージに加えて、元々の音のレンジ(音量の幅)で無限に音色を広げられるので、そこが「おいしい」なと(笑) その辺り、三味線弾きにしか分からない世界なのですけどね。

 

三味線を弾き始めたきっかけは?

 

両親共にプロミュージシャンで、父親がラテンやジャズのベーシスト、母親がピアニストという環境で、小さい頃から家にはベースやギター、打楽器やピアノがありました。 

聴く音楽のジャンルも、ジャズ、ロック、クラシックと幅広く聴いていて、ビートルズやロックも聴くし、ホルストの「惑星」も大好きだったり。 

なので、小さい頃から民謡とか古典をやってきたわけではないんです。

 

それが、9歳の時に「ナルト」というアニメをテレビで見て、第1話の劇中で、三味線の音が流れたんです。 

ビビっときて、「この音なんなんやろ?」って、ずーっと頭に残ってて。

 

その後、小学校の芸術鑑賞会で三味線の演奏を聴いて「これだ!」と。音と楽器が一致したわけです。で、三味線を習いたいと親に頼んで、先生を探してもらったんです。 

そして、中2の時に東京の佐藤通弘先生に出会って、大学は東京に行くぞ!と。

 

そして東京藝大に入学されたのですね!

 

当時はとにかく東京に行く、師匠の元に行く!が目的でした。両親からは上京するなら国立というのが条件だったので、三味線の専攻のある東京藝大を目指し、邦楽科の長唄三味線専攻に合格しました。入学してから別の三味線音楽ジャンルの長唄を学ぶのはかなり大変でした。

 

三味線は全部で何種類あるんですか?

 

大まかには太棹、中棹、細棹の3つです。代表的なものは細棹が歌舞伎の長唄、中棹が小唄や地唄、太棹が義太夫や津軽三味線ですね。細かく分けると20以上のジャンルがあります。僕が最初に手にしたのは太棹の津軽三味線です。

 

ところが、大学には津軽三味線の専攻がなかったので、太棹から細棹に持ち替えて長唄を勉強しました。これが結構大変で。

構え方も全然違いますし…ウクレレとクラシックギターくらい違うんですよ。形は大きく変わりませんが、持ち方が全然違うんです。大学入試の為に細棹を練習してたので、入学したら津軽三味線は全然弾けなくなってた、みたいな(笑)

 

でも、複数の棹を弾き分ける人は結構珍しいので、今となっては良い経験でした。

今は津軽三味線ですが、長唄のエッセンスも表現できるようになったので。

 

どんな大学生でしたか?

 

それが、途中でグレて学校行かなかったんですよ。ガチガチの古典の専攻だったので、一年生は課外活動ダメだったり、二年以降は届け出が必要だったり、学外でロックバンドを組んでいたのですが、息苦しくて…休学しました。 

 

ヴァイオリンとかギターは、楽器としてすでに確立していて、ジャンルは自分で好きなものを選ぶと思うのですが、三味線は民謡や長唄など、ジャンルと楽器の結びつきが強く、「やらないといけないもの」みたいな空気が当時は受け入れられなかったんです。 

 

休学中はお世話になっていた方の会社に雇ってもらいました。そこで音楽事業部を作って頂いて、固定給をもらい三味線を弾いてました。 youtube配信、コンサート企画、デザインや動画編集も勉強させてもらったのはありがたいことでした。

 

でも、学費を家族に出してもらっていたので、ちゃんと卒業しなくてはということで…何とか戻って無事に卒業しました。グレた自分を受け入れた担当教授の先生に、今思うと感謝です。 

 

卒業してプロミュージシャンになったとたんにコロナで活動制限、今はどうですか?

 

最初はきつかったです。企画してもすぐ中止を繰り返してましたし…

でも今は、作曲等の創作活動で、プレイヤーとしてではなくアーティストとして内なる自分を表現することに集中出来るので、色々発見があって良かったです。

うん?いやいや、ちょっと強がってますね(笑) 

 

それと、音楽と政治や社会とのつながりも強く感じるようになりましたね。こちらから働きかければ社会を動かせるみたいな。 

実は、代表理事として三味線の団体を作ったんですよ。後輩や他の三味線弾きに貢献出来ないかなと。

 

素晴らしい!今後、三味線文化をどうやって広めるかという大きな目標が出来ましたね!

 

素晴らしいプレイヤーは沢山いらっしゃいますしね。僕は競争が嫌いなんで、プレイヤー同士の横のつながりとそれぞれの強みを活かしながら三味線音楽を盛り上げたいです。

 

後は、早稲田大学の津軽三味線のサークルで教えているんですが、大学生の中で密かにブームになっているんですよ、三味線が。 慶應や明治でもサークルが出来て。毎年100人以上の新入生が三味線を始めています。伊藤多喜雄さんの南中ソーランとか、吉田兄弟さんとか、小さい頃から音を聞いている世代なので、僕のように音と楽器が一致すれば三味線を弾く人がもっと増えるかもしれません。 

 

海外での活動については?

 

三味線奏者として海外フェスや、大使館等の演奏に呼ばれることはありました。イタリア、ジャカルタ、ハンガリー、オマーンとか…。 

大学卒業してコロナになるまでの1年間、自分的にはかなり頑張ってコンサート企画してたのですが、アメリカでのソロコンサートはとても印象的で、もう一度やりたいですね。国によって反応も色々ですが、面白いです。 

ジャカルタの聴衆の熱狂ぶりもすごかったです。一音弾くだけで歓声が沸いた時はさすがに勘違いしそうになりました(笑)

 

12月4日のコンサートはオーケストラとの共演ですね。抱負をお聞かせください

 

今までゲーム音楽でオケと共演したことはあるのですが、自分の思惑通りにオーケストラが演奏してくれるのは快感です。その分、今は生みの苦しみですけれどね(笑)

 

僕は分かりやすい音楽、メロディを歌えるような曲が好きなので、演奏していて楽しい曲にしたいです。三味線と一緒に歌おう!とかも面白そうですね。 

日本の楽器、三味線のカッコよさを伝えたいです。そういう演奏を目指します。

 

岩田さんの創る新しい三味線ワールド、皆さんも是非劇場で体験してみてください!