奥村 愛 おくむら あい
7歳までアムステルダムに在住。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースで学ぶ。辰巳明子氏に師事。第48回全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部第1位、第68回日本音楽コンクール第2位など受賞多数。
02年、デビューCD『愛のあいさつ』発表。一躍楽壇の注目を集める。以来Avex Classicsより数々のCDをリリース。国内の主要オーケストラや、世界各国のオーケストラとの共演を多数重ねている。リサイタル活動の傍ら「キッズのためのはじめての音楽会」をプロデュース。自身のライフワークとして位置付け、長年に渡り全国各地で上演を続けている。自然体なトークも好評を得ており、テレビやラジオへの出演も多い。桐朋学園芸術短期大学非常勤講師。
ヴァイオリンを始められたきっかけは?
父がヴァイオリニストで、母はピアニストなので、自然な流れで、4歳からですね。
母は、子どもが生まれたらヴァイオリンをやらせたいと思っていたようです。
また、家に子ども用の小さなヴァイオリンがあったり、父の手作りのおもちゃのヴァイオリンがあったりで、遊びの延長線で弾き始めました。あまり自分の意志でやりたい!という感じではなかったですね。
初めて人前で演奏したのはいつですか?
7歳まで父の仕事の関係でオランダに住んでいたのですが、教わっていた先生が毎月のように発表会をやって「人前で演奏するメンタル」を養うという方針だったので、初めてはいつだったか…(笑)
よく覚えているのは、オランダの祝日の「女王記念日」の時、オランダ在住の日本人家族たちでフリーマーケットをしたんですね。で、父に「お前はヴァイオリンを弾きなさい」と言われて。小さな子どもが路上で弾くものですから、通りすがりの方たちが小銭を置いてくださったりで。私は嫌だなと思っていたのですが、自分のヴァイオリンがフリーマーケットの商品だと勘違いされて「これは幾ら?」と聞かれるたびに、父に「今ここで弾かなかったらヴァイオリン売っちゃうぞ」と脅されて(笑)それが怖くて必死で弾いたのを覚えています。
どんなお子さんでしたか?
積極的に人前に出るような感じはなかったですが、オランダでは皆自分の意見をはっきり言うので、そういう意味ではのびのびと育ちました。ヴァイオリンの練習も毎日していましたが、それ以外は外に出て遊ぶ方が多かったですね。
7歳で帰国した後も、そのままヴァイオリンを続けました。父がオーケストラで演奏しているのを観て「ああいう風になりたい」と思ったからです。プロのヴァイオリニストになるということに迷いはなかったです。
もちろん中学生くらいの時は練習が嫌で「やめたい」と言ったこともありましたし、大学時代に他の世界も知りたくてガソリンスタンドでアルバイトしたりもしましたが(笑)やはり、弾いていて素直に「楽しい」と思えたことが今につながるすべてですね。
普段、おうちでもずっと音楽を聴かれていますか?
そうでもないんです(笑)BGM的に聴くのはラジオとか…。
クラシックを聴く時は、演奏の勉強のため、という感じになるので、普段はJ-popとかのほうが多いです。
好きな音楽のジャンルは?と聞かれたらやはりクラシックですけれどね。
一番好きな作曲家といえば?
モーツァルトですね。
子どもの心と大人の感性を両方持っていないと弾けないところに惹かれます。
例えばロマン派後期の「情熱や感情」を重要視する感じだけではなく、冷静さを保ちながら、でも茶目っ気も必要だったりで。
なおかつ、失恋した後の気持ち、大人にしか分からない感情を込めて弾くべきだったりで、とても複雑なのですが、そこが弾いていても聴いていても面白いと思います。
コロナ禍の間、おうちでは毎日練習されていましたか?
そんなことないんです。最初の頃は、「さすがにそろそろ弾かないとまずいな」と思うくらいまでケースすら開けられない日が続いて…。4歳で始めてから、今まで常に目標があって弾いてきて…次のレッスンだったり学校の試験だったり、プロになってからは本番だったりと。常に「ここを目指そう」と目標を持って練習してきたのが、一気に全部無くなってしまって。自分の人生の中で初めてのことで、心にぽっかりと穴が開いたみたいな感じで弾けなかったんです。
それを打破されたきっかけは?
そうですね…弾けないことに焦りを感じながらも目標設定が出来なかったので、とりあえず家にある楽譜を全部弾こう!と。
弾いたことある曲もない曲も、とにかく片っ端から全部弾くぞと決めて(笑)
それでやり始めたら、これが結構楽しくて!こういうの今度コンサートでやろうとか、新しい発見もあったりで。
でも、そのコンサートも一体いつになれば出来るの?と落ち込むこともあり…長い空白の時間でしたから、その繰り返しでしたね。
やっぱり辛かったですか?
最初のうちは辛かったですね。立て続けにコンサート中止の連絡が入って…泣いたこともありました。
そして感染状況に左右されないように、モチベーションをキープするのも大変でした。
日々の感染者数をニュースで見て、「あぁ、また中止かな」と思うと練習に身が入らないので、もう見るのやめようと。でもやっぱり中止でがっくり落ち込んだり。
でも、そんな時に一番支えになったのは音楽仲間の存在ですね。リモートでアンサンブルとか、今までやったこともないことを、試行錯誤しながら一緒にチャレンジしたことには、ものすごく救われました。とても濃密な時間を過ごすことが出来ました。
ただやっぱり、クラシックに関しては生で聞くのが一番だというのは間違いないです。
そんな中で新しい音楽のあり方の可能性は広がり、視野を広く持つことは大切だと思いました。
SNS等も活用されていらっしゃいますか?
私自身は完全なアナログ人間で(笑)
こまめに情報発信するのは苦手だったのですが、ちょっと考えが変わりましたね。
コンサートで音楽を聴いてもらうのは、ある意味一方的に「聴いてください」というスタンスになることが多いので、SNSで直に聴衆の皆さんとコミュニケ―ションが取れるのは良いなと思います。
コロナ禍最初の頃はTwitterで毎日1ツイート、と決めて発信してたのですが、今はストレスない範囲で続けています。
趣味といえば?
ここ最近はドラマにはまっていましたね。中国ドラマの「琅や榜」とか。インドア派なので、スポーツとかよりもおうちでのんびり過ごすほうが好きです。夜は日本酒飲みながらドラマを観る、みたいな感じですね。
今まで生きてきて一番感動したことは?
一般的な答えだと、「娘が生まれた時」ですね。
日常的なことだと、自然の景色を観て感動することが多いですね。満天の星空とか。
もし生まれ変われるなら、誰になりたいですか?
自分のままで良いです(笑)
タイムスリップして別の時代に生きてみたいというのはあるけど。
あくまで自分のままで(笑)
来年1月のコンサートでは岩田桃楠さんの三味線との共演ですね
自分にとっては初めての試みです。三味線はかっこいいですよね。大きな括りで同じ弦楽器ですし。
私と岩田さんならではの独自の音楽を見つけて、新しい世界を創り、自分自身にとってもステップアップになるといいなと思っています。
私は西洋の音楽を学び、演奏していますが、自分の中に流れている血は日本なので。
民謡などの日本の伝統を守ると言う意味でも、今回の共演はとても楽しみです。
今までもクラッシク以外のジャンルとの共演は経験されていますか?
以前、高野山のお寺で声明と共演したことがあります。お坊様がお経を唄われている中、G線上のアリアを演奏しました。宗教的な観点からも全く異質なのに、尊いもの同士が掛け合わさって創り出す世界が、何とも美しく不思議な感覚でした。
その経験もあって、お寺で演奏するのが好きなんです。荘厳な雰囲気もそうですが、西洋の楽器を日本文化の中で弾いているのが面白いというか、なんとなく「守られている」ような感覚だったりで、面白いなと。
音楽を愛する読者の皆様へのメッセージを!
音楽の楽しみ方は無限大で、実際に歌ったり演奏したりすることに制約がある今だからこそ、今まで聴かなかったジャンルのものを聴いてみるとか、新しい発見、出会いを大切にしてほしいです。きっと、後から振り返ると、前より成長というか進化した自分を見つけられるんじゃないかなと思っています。
皆様にコンサートホールでお会いできるのを楽しみにしております♬
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